2014年3月6日木曜日

法令の位置付けを正しく知る必要性

最近コンプライアンスを守るというカタカナ言葉をよく使う人を見かけるのだが、味する処を理解しようとしていないのではないか?と危惧している。

自称“専門知識を持っています”という人程、その意味をよく理解せずに使う事が多い様に思える。
日本で言うカタカナ言葉や英文字の服なんかがそうだし、外国で言うところの漢字の入れ墨や、日本語もどきの服なんかが該当する。
ソリューションだの、インスパイアだの、イノベーションだの、リスペクトだの…枚挙に遑がない。
好奇心が旺盛なだけかもしれないし、よく分からないものが好きなのかも知れない。
こういった中二病的思想・妄想は現実として、平社員であれば然程障害にはならないだろうし、一見問題ないようにも思える。
しかし、社会的責任を負う地位にいる場合は話が変わってくる。
昨今、社会的責任の課される立場の人ほど、意味するところを理解しようとしていないように思えてならない行動を頻繁に起こしているように見える。


本質的な事を言ってしまえば、言葉の背景など理解し尽くす事なんてほぼ不可能である。
言葉は生き物であり、その解釈は受け手によって多様性をもつものである。
特に日本語の意味の広さや深さは尋常ではなく、専門家ですら用法を間違えることもある。
自称専門家であるようなマスメディアや新聞がまともな事を話さなくなったのもその一つともいえる。


そんなこともあり、自分の都合の好い様にしか解釈できないのが本来の人間の姿である。
本来この本来のカタカナ文字単語は、その都合の好い様な解釈だけではなく、幾らかの刺激を与え、本筋に戻すというのが必要である。
そして、少々強引に深い思慮ををさせることを相手に強要する。
例えば“ソリューションで解決します”と言われても、問題解決=ソリューションなのだから、何を言っているのかさっぱり解らない、具体性も何も無いのだ。
鳩山ヨロシク、腹案のようなものである。
本人は堂々と『何も考えていません!』と公に言い放っているように見えるのだ。

度々のつまりは、一つでは意味する処がそんなに深くもない語を語る意味は、
“相手に考えさせることが真の目的”
の様に見えている。
しかしながら思考停止した相手が簡単に物事を考えるだろうか?ココはかなり疑問である。
では、その語る処の意味する処とは、どの様なものであろうか?
様々な解釈のしようが有るが、私個人の意見としては、
“道理・倫理的に正しく在ろうとする事”
のように思える。
少し噛み砕くと、、昔で言う所の人の道から逸れてはいけないということである。


昨今、無縁とも思えてきた日本の中において、こういう言葉が表面化してきた背景は、日本人の核家族化や、道徳教育の不良化、メディアを含めた在日外国人たちの文化的な影響にあるのではないかと思う。
武士道、茶道、華道等の○○道という文化にあるように、その背景には一つの大きな柱があり、その柱が過去の人間性教育において、大きな寄与をしてきた。
しかしながら、文化や道、徳といった概念を希薄化しようとした事によって、この人間の根幹ともいえる大きな柱がなくなり、サル以下の生き物になり下がっているのではないか?
サルは集団行動における原理原則を正しく守るし、チンパンジーに至っては落とし所を決めて喧嘩を始め、必ず誰かが喧嘩の仲裁にも入る。
“集団行動の原理原則を守ろうとしない人間は、確実に退化している”そう思えてならない。


私の個人的な実例だ。私は電気主任技術者かつ平社員(しかも超下っ端)であり、会社では何の発言権も持たない。
※他人の責任を執りたくないので好んで下っ端に居る事に注意
実際問題、電気事業法の保安規程に記されているような内容を私本人が書き、稟議を通してサインを貰った後に役所に提出しても、守られない事が普通の無法状態に近い。
勿論、その保安規程は経営企画の部隊と審議し、経営者・関係者が目を通し、
法的強制力・拘束力を持つ文章であるという事を社内に知らしめた
のにも関わらずである。

まぁ、ここまでは大きな問題ではない、普通の会社でもよくあることである。
実際問題、点検をしっかりやって、社内の技術基準(=法令+大幅なマージン)を守り、更にしっかりと安全確保をしたうえで、事故を防ぎきれば、法を制定するに至った背景や根拠の部分はしっかりと守られているのである。
つまり、法は守っていないかもしれないが、道理や倫理は守ったとも言える状態である。
現実の世界で、法を完全に守りきるのは困難を極める。
座れる座席が無いのに電車に入ってはいけない=電車で立ってはいけない
という法すらあるのだ。これでは東京近郊の会社員は出勤退勤は不可能であり、世の中は犯罪者だらけである。
自転車の歩道走行・逆走も然り、その道路の都合上、危ないから安全確保のためにやっている事が、法とは異なる事が多いのである。
そんなこともあり、私は日本国内においては、法は倫理・公益性よりも下に位置付ける事が正しいと思う。
少々離れたことを言うと、こういった観点からすれば、憲法の解釈云々は議論にすら値しないのだ。
時々刻々と流れる時の中、適宜適切な判断が必要なのは昨今変わりは無い。
高々年収2000万程度であんなに重苦しく、1ヶ月の交際費すら賄えない様な職にいるような総理大臣が超法規的措置を行える権限が必要な地位という位置づけなのだから、総理がやるべきだといったら、それに従う以外の余地は無い。
私財を投げ出してまで国に人生全てを捧げているのが政治家なのだ。
私には到底できない芸当だ。
立場になったとしてやってみた状況を想像すると、あまりの酷さ加減が容易に見えてくる、あんな薄給でブラックな状況、おまけに野党がキチガイで手がつけられないという有様では、下手したら精神的にも金銭的にも半月も持たない。
何があろうが、今の制度では政治家の事が嫌だというならば選んだ奴が悪いし、立候補しない奴も悪い。
少なくともいざこざを起こしているのは少数派であるから、公益性という観点で干されても仕方ないのである。

さて、話が逸れたので元に戻す。
そのような背景の中、社内でいざこざがあり、期末の忙しい時期や色々と面倒くさかったこともあってか、上司が匙を投げたので私が対処する事になった。
上司は残業のつかない管理職であったが、私はただの平社員であり、組織上は何の発言権も無い。
揉める対象の相手が役職のかなりの上のクラスであった事もあり、なんの力も持たない私は結局のところ諦めるか、法や行政を味方につけ、国としての強制力で会社を動かすしかなかった。
それにも拘らず、
『電気主任技術者として意見をして』
と言う様な無茶な振られ方をしたこともあり、
“電気事業法やJIS Z 26000等を盾にして出迎えるしかなかった”
のだが、これが会社としては面白くなかったらしい。
最近会社は“法令を守る=コンプライアンス”と勘違いされているので、そこを突いて幾らか反省させようと考え着いたのである。
“露骨に法令違反をしまくって、この問題を起こしたのは、法を守れと言い出した貴方方なんですよ?”
そういう内容をかなり遠まわしにネチネチと複数の観点から指摘し、最悪会社を潰す行為だという事を伝えた。
しかしながら、法を盾にしたのが気に食わなかったらしい。
後日、こってりと直の上司(非管理職)は言われた様で、暗にそれを示唆してきた。
酷いものだ、自分たちが失敗したのを直の上司の責任に転嫁してくるのだから…。

少し前、会社の役員な方々に今の会社の現状と、日本の状況を説明した時は問題ないのだが、相手の解釈が著しく偏っていた記憶がある。
会社の役員とは厄介なもので、本来あるべき姿になろうとしている人に賛同はするものの、発言権も、給与も保護も与えないのである。
過去の職場でも、こういった状況は多く、役員クラスの人間との接触は極力避けるようにしてきた。
今思えば、暗に“役員=だらしない人”(いや、だらしないからこそなれる職位)というのを比較的早期に悟っていたのかもしれない。
正直な個人的な意見として、給与は生活に支障が無ければどうでもいい
後から付いてくるものだし、上司が優秀であれば、少なくともその成果に達するまでは上がる権利もないし、成果を出せないのであればサービス残業なんて当然だとすら思っている。会社の収益という少ないパイからは青天井なんて望めようも無いのだ。だから私は成果主義という言葉が大嫌いである。

日本のおおよその企業において、昨今の役員といわれる人々は少々形容が変わっており、遠目に見て遊んでいるだけで、助けたり守ったりする気なんて無いのである。
寧ろ、誰かを蹴落として優越感に浸る事が楽しくて仕方ないように映っている。
悪人のネタ(彼ら本人に貴方方ですよと遠まわしに言ったのだが、効かなかったらしい)を提供した私に対し、悪そうに見えた人を次々に迫害し始めた。
しかもただの平社員である私の名前を出してである。
これでは誰が後々拙い事になるのか容易に見えてくるであろう。誰でもない、私本人である。

今までもこういう会社が多かったこともあり、結局は上司の能力以上の事を部下がしてはいけないし、会社は上司の能力次第で容易に衰退するという事を今まさに目前で見せつけられている状況である。
勿論、先ほどの仮想的な悪者に見えた人への迫害や、サービス残業や個人の財布からの出費なんて当たり前だと思っている以上、平社員の見方であってほしい労働組合も、味方にはならないことは明白である。

結局今の私は誰からも守ってもらえず、ただ自分を信じて自己責任で自分の信念を貫き通すしかないのである。
このように、倫理や道徳が大事だとはいえ、それを正攻法で貫き通そうとすると、日本の腐った組織の部分が大きな牙を剥き一介の平社員に襲い掛かってくる。
この構造は日本が健全であると言えるであろうか?私はそうは思わない。
倫理的、道徳的に正しく在りつつけようとする者がそれなりの生活を営める場所にいられる社会構造が必要ではないかと思う。

日本の衰退が云々カンヌンと騒ぐ人が結構多いと思うのだが、結局はまともな奴がまともに経営・組織運営をせずに、経営・組織ごっこが好きな人が寄って集って経営・組織ごっこをし始めた事が日本の衰退の大きな引き金になったのではないかと強く思う。
騒ぐだけの彼らは責任を執る事を知らないし、執り方も解らない。かといって、現場の事が分かるかと言えば判断できる知識も無い。正直に言ってしまえば、経営をできるだけの材料、マネージメントをできる能力や度胸、素養全てにおいて何かが欠けているのである。
ごっこ遊びで回し続けられるほど日本の地位は甘くない、そのうち大きな崩壊が表面化し、世界そのものを不況のどん底に叩きつける日がやってくるのではないか?
そう危惧して仕方のない今日この頃である。

昨今の過剰ともいえるような景気回復の波にもかかわらず、波にも乗れずに計画的にも見えるような会社の倒産件数の多さは不可解にも見えるが、こういった背景があるのではないかと私は考えている。

どどのつまり何が言いたいかというと、
“役員と会話する機会なんて持ちたくなかったのに、うっかり接点を強制的に持たされてしまったがゆえに、今回の会社の在籍寿命が一気に短くなってしまいましたよ”
ってことです。あと1年もつかなぁ~という状況ですので、そろそろ次の仕事を探さざるを得なくなっってきました。
だれか本気で仕事ができる会社を紹介してor仕事を下さい。(本気)

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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