2015年12月19日土曜日

仕事と成果の価値基準を再考する

おはようございました。
この年になってようやくどっしりした考えができてきたのですが、仕事や成果の価値基準って言うのは
『あらゆる制限の中で、如何に可能な限り丁寧に仕事をこなせたか?』
この一言に尽きると思います。
と言うよりは、世間様の仕事の雑さが目に余ってきた(自分の仕事の雑さが薄れた分、よく見えて困る)のかもしれません。

仕事の質に拘り始めるのは所謂老化現象の一種かもしれませんが、社会全体の質向上の為に太古の昔より継続されてきた先人たちの知恵でもあります。

特に金銭の授受がある場合においては、仕事に責任が発生しますし、価値の代償としての仕事の丁寧さは義務に近いものがあります。
私は立場上というか、職業柄最近よく異業種間交流をします。
その際に今迄付き合った事のない業者さんとやり取りを行った結果、仕事が雑で今後の取引ができない(育てる価値も見出せない)と思う事が多々あります。
一体どうやって身銭を稼いできたのだろうか?と思える事もしばしば…。

仕事が雑であると、日本においては何も言わずに黙って去られてしまいます。
海外だと結構優しくて、クレーム入れられて賠償金払わされ、契約を継続できるのですが、日本だと何も知らされずに即終了
どこのスペランカーだよ(泣)

恐ろしいですよね…こと商売においては日本人相手が一番怖いと思います。
どこまでが交渉の範囲かだなんて、昔と違ってよう分からんようになってきましたし、雰囲気醸し出さずにいきなり切れられる事もしばしば…沸点低すぎる輩が一気に増えましたよね…。

さて話を戻して、殆どの業態ではリピートのオーダーをしてくれる客が主たる収入源です。
なのですが、ほとんどの営業(と言うよりはその組織形態の方々)は目先の金銭に目を奪われてしまい、その先にある信用というもっと重要な価値が見えて居ないのです。
短期的目標ではこの価値は表現されませんし、会社の看板や目標に『value』という字を掲げておられる会社も多いのですが、実態は経営している本人たちが一番理解できていないのかもしれません。
日本人的思考からすれば、value=値だから単純に値段じゃねぇの?誤解されるので、この文字は非常に良くないと思うのです。
英語特有の様々な物・事象の価値に値する多目的な感覚ですが、日本語だと表現が結構難しいです。
感情を発声して終わりの英語文化と記録して残したがる日本文化の大きな文化の壁ですよね…。


仕事の丁寧さは価値の一つです。
しかも中長期で効いてくる価値であり、短期的な回収がとても難しい内容です。
残念ですが、昨今の社会情勢では目先の数値目標に目を奪われ、その先のもう一歩を踏み出す事ができる企業はとても少なくなってしまいました。
これは会社の経営側だけでなく、社員側にも問題があり、声を上げて発言をするような方がかなり減ってしまっています。
この問題の背景は、日本流リストラ『首切り』があり、正社員といえどいつ無職になるか分かりません
日本の会社組織において、上司の言う事が絶対的であり、世間一般の大衆や、ステークスホルダーでも下流に位置する関係者の価値はかなり低い位置に置かれる実態があります。

私の転職8回もまさにこのステークスホルダーに対しての接し方・価値観の違いで引き起こされたと言っても過言ではありません。
私はものを作るとき、最終的に身銭になる相手が何を求めているかが最大の焦点であり、自分たちの価値観なんて最後の最後まで出さないように配慮します。
客は自分たちの目線でなければ接してくれませんし、例え“面倒くさい”であっても敷居が少しでも高くなればその分去ってしまう可能性が急上昇です。
そんな事から、新規顧客が欲しいという組織は往々にして意図しない殿様商売になっている事が殆どです。
価値の創造にはその見えない殿様商売を破壊しなければなりません
しかし、見えない殿様商売こそが実は組織のアイデンティティーと言う場面が非常に多い…。
そのため、客の求めているものを作ろうとすればするほど、組織と乖離してつまはじきに会う訳です。そう、前回言っていたこのホームページの修正も同様です。
そう思えば、この手のネタを書いていなかったので、近々に書きなぐってみようと思います。
そろそろコンサルタントとして独立した方が世間のためになるんじゃないか?という気がしてきた(違

お客様は神様なんて、誰が言ったんでしょうね…実態は上司が神様じゃないでしょうか?

仕事の価値として非常に高い丁寧さも、目に見えて数値化できる“納期”やら“価格”とやらのおかげで無視される方向になってしまい、見える化のしにくい真の価値基準は既に遠くへ捨て去られてしまったようです。

見える化を煽ったメディアやそれに踊らされた頭の残念な経営者の功罪ですね。
見える程度の物で価値が測れるのなら、この世はとっくにどこの誰かに征圧されて平和な世の中になってしまっています。
ですが、人類が生まれて今だかつてまともに統一された事は一度だってありません。
それは可視化できない文化や歴史、物語や信念が渦巻いているからです。

見えないものにこそ真の価値があります。
我々はその価値を見出さない限りは前に進む事はできません。
もし、見える物にだけ価値があると思っているのならば、その残念な思考はさっさと捨てるべきです。
客が最も好むブランドと言う偶像は、あくまでも信用という見えない価値の塊であり、値段ではありません。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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