2015年4月6日月曜日

誰かを悪者に仕立て上げようとしていませんか?

こんばんは、
最近人の汚い部分ばかり見せ付けられている漢です。
ウンザリ気味でそろそろ道を誤って転職してやろうか?と思うぐらいになってきました。実は後1社で大台になるんですねぇ~(ぉぃ

自らの職責と仕事を放り投げて、こっち(超平社員)へバンバン放り投げてくる人が多いので、さらにそれを助長させてくれます。
相手の許容量を分かってやっているなら本物でしょうが、現実的にはほぼ駄目です。
パワハラ攻撃を連発で受けまくっている私はとっくに許容量を超えちゃってますよ?っと…。

さて、人の行動原則において、よくありがちなパターンのひとつに、
『悪者を仕立て上げて、それに全てを押し付けて罪から逃れようとする』
と言うものがあります。
ひな祭り等の祭り事の大半はそれですし、国単位でやっているのが己の正義と言う名の下に行動するアメリカです。

こういった風習はどうやら小さい社会にもあるようで、部署という程度のサイズになった途端、誰かを悪者にしてしまいたがる傾向があるように思われます。

これ、やる側は自分が正義の代弁者にでもなった気分で気分がよかったり、自分の悪事を全て他人に押し付ける事で罪の意識から逃れる事ができるのですが、やられる側はたまった物ではありません。

私も毎度ながらこのパターンにやられっぱなしで
“人は悪の寄り代を作りたがる習性を持つ”
と言う、基本的な事を忘れていたような気がします。

どうしようもない罪と言うのは確かに存在しますし、人が生きてゆく上でその運命からは逃れられないのかもしれません。
しかし、目先の快楽に目が眩み、おぼれ、他人を悪人に仕立て上げて罪を大量生産するような真似をする必要はないと思います。

大人の多くはまだ小人のままだと言う事を忘れてはなりません。
日本ではしっかりした人を(精神的に)大きな人と書いて大人(おとな)と呼びます。
それ以外を小人と呼びます。
言葉の語源の重さの意味、今ならわかるような気がしませんか?


精神の成熟と年齢には、たいした相関が無いのかも知れません。
あなたは本物の大人ですか?
それとも面だけ分厚い小人ですか?
自分で大人と思った時点ですでに小人です。
それは、第3者が決める事であり、真の大人とは常に精進し続ける必要があるからです。

先ずは難しく考えずに、どの立場の人から見られていても恥ずかしくない行動をとりましょう。
善い人への道はそこから全て始まります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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