2014年4月13日日曜日

職場教育問題と倫理問題の共通点

技術倫理と社会 第9号 に寄稿させていただきました。
題目は『集団活動における技術の限界』です。

共通の題目であった“我々の9年、気付きと築き”を強引に無視して、この題目と結構きわどい事を言い放った一文です。
エンジニアが宗教や、政治に口出して良いのか?
倫理で飯は食えませんが、倫理が無ければ飯は食えなくなります。
それは技術にとっては倫理は、人間にとっての水や空気と同じものだからです。
などなど、言いたいことを書いて、題目につなげようとしたら、ものの見事に失敗したと言う代表例です(汗。

刷りたてホヤホヤの冊子なので、いくらか在庫があります。
欲しい方は
ETの会ホームページ
迄、または私へご連絡をください。

この絡みもあって、ETの会
場所:技術士会 中部本部会議室
時間:5月18日13:00~17:00
の後半で、お話をさせていただく運びになりました。
省エネ絡みで話すことは決まったのですが、さて、何にしようか考え中。
最近の落ち目企業・中小企業にありがちな厳しい現実と、エンジニアには何ができるのか?を具体的に模索しようと思います。

さて、本日はこのETの会で、技術倫理では現場と学術をつなげて教育を変えてゆこうとしている 比屋根 均氏から、研究論文の断片の紹介と、その展望について話題提供がありました。
結構なボリュームで、現場で苦悩している人には超絶にありがたい内容ですが、良い会社・特に苦悩する立場ではない人には、眠気的にちょっと厳しい内容だったかもしれません。

さて、その講演を聴いたおかげで、その中で今まで自分が実施してきた新人教育について、一つ暗雲が晴れた気がしました。
正確には、講演でヒントを得られたので、今まで散乱していた疑問だらけの状態が、文化という概念の導入により、一気に改善されました。

今の新人は日本語を話す外国人(欧米寄り)として扱い、外国で行っている倫理・概念などをしっかりと叩き込まない限りは、使い物にならないのではないか?

今はそこまで組み立てられています。
過去、様々な面々の人々と絡み、教育を行ってきました。
おおよその場合、興味を示すように仕向けることで、強力な学習力の向上がされます。人間は感情とともに記憶を働かせると、非常に効率よく学習することができます。
一番良いのは楽しい・嬉しい等の正の感情を積極的に引き出し、その感情を記憶と結びつけることです。

比較的年上の人間には協力に効果的なのですが、昨今の若い人間にはそれが通用しません。
実際に物や成果を作れるようにはなるのですが、とても杜撰な代物で、粗が目立つのです。
センスの無さがなせる業か?ゆとり教育か?いや、親の教育が…?という風に悩んでいたのですが、一つの結論に達しました。
親の世代が、完全に白痴箱&マスメディアの餌食になっているので、その子孫は完全に汚染されてしまっているのです。
ずいぶん前の話ですが、幼稚園のお遊戯会で、“みんなが主役”といい始めたり“かけっこで順番をつけない”というような酷い教育方針をし始めたのを覚えているでしょうか?

主役を引き立てる為に脇役は必須ですし、その引き立て方次第で脇役のほうが重役になる事もあります。
物事には順序がありますし、努力してないのに1番の人間と評価が変わらない許されるはずもありません
これで何が生まれるでしょうか?
ごらんの有様(キチガイ新入社員の登場)です

そのことを考えずに、好き勝手に“個主義”、“我流”、“俺流”という連携を無視した行動を推薦するようになり始めました。

過去お話をしましたが、“お天道様が見ている”という日本独特の思想は、技術を具現化して利用するときには非常に強力な商品価値を生み出します。
その強力な価値創造の前提は、技術倫理です。
道徳的な思想そのものが、技術倫理としての当たり前の地盤を磐石な物とし、海外のようにわざわざ勉強しなくても当たり前のことをすれば良い物が作れるという結果を生み出せます。

しかし、現代の人間には道徳の概念はありませんし、欧米化した趣向性は個の価値を第一に置いて思慮をします。
要は、作りやすい物を作るという趣向性にかわってゆきます。
結果、完成品への思慮は必然的に薄れます。
最近の欧米製品が脅威なのが出てきて言うのは、個の優先よりも、調和を求め始めた会社が現れ始めたからともいえます。

技術倫理と社会 第9号 で寄稿させていただいた内容にも触れますが、結局のところ倫理が無いとまともなものは作れません
だからこそ、現代の汚染(汚鮮)された人には予め、欧米人と同じ感覚での倫理の概念を教え込まなくてはならないのです。
この一手間がどれだけ重たい作業か?解る人には解ると思います。
当たり前の常識を大人になってから植込むには相当な苦難の道のりが待っているのです。

だったらまともに話せる汚染されていない日本人を雇うべきである。私はそう素直に感じます。
ただ、嫌でもそういうどうしようもない新人を好き好んで入社させる人事担当と役員が居る現実には抗いようが無いので、教育するしかないのですが…。

何で、経営の根幹に関わる人々は部下を自分よりもキチガイ寄りの人選にしたがるのでしょうね?

でわでわ、今日はここまで
また会える日を楽しみにしています。

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