2017年8月4日金曜日

悪い評価の理由を考える 前編(前職@与太系派遣会社)

おはようございました。
今回は長くなるので3部構成です。

良いもの・気に入られるものは個人的な気持ちや運という要素があるため、たまたまかもしれません。
(定番や、多数から評価されているものは除いて…)
しかし、悪いという基準は皆一定以上の上の線引きがありますので、その再考をしなければならないと思い、実施してみました。

このブログを結構読まれている方はご存知の通り、私の転職回数はけっこうな物でして、もうすぐ大台突破であります。
グローバル化が本当なら、いたって普通の数なのですが…。
さて、私が辞める=大体会社が無理難題を強いて、体を壊すか、精神的にやられるか、責任おっかぶせてきたというのが毎度の典型的なパターンであります。
そんな中、本日は前にいた会社の中でかなり評価が低い職があったことをチラッと耳にしました。

なんだ?そんな白痴箱的な業者を信じている輩がまだ居たんだ…。と思いつつ、転職活動の結果が中々面倒臭い事になっている理由が見えてきたわけです。

どうやら代表的なものが
  • トヨタテクノサービス(現 トヨタテクニカルディベロップメント→トヨタ自動車)
  • SONY EMCS(現 ソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ)
この2社のようです。

私に会って話していただいた方はよく分かると思いますが、面倒くさいがために曲がったことが嫌いでド直球勝負な性格、しかも口は超悪いですから、思い当たる節がありすぎて困る訳です。

そんな訳で、今回は3回に分けて、何で低評価なのか?理由を再考してみようと思います。
まずはトヨタテクノサービスから…
よう分らないことが多すぎます。
ですので、実際に行った仕事の流れと業務の経緯から掘り下げてみようと思います。

まず、当時はトヨタ自動車の東富士研究所におりまして、とんでもなく馬鹿でかい基板を人型のロボットに押し込もうとしていらっしゃったので、
『それ無理!俺が作ってやんよ!!』
と、基板の回路を0設計して、検図していました。
名刺よりも小さいサイズで上手く筐体に突っ込むことができそうなサイズです。
携帯電話のSH-3+ROM+RAM+FPGA+ADuM+DirectFETという、当時では超奢った設計です。
なんてったって、人間の形してましたから、それなりの処理能力がないとサーボ演算が間に合わないので話にならん。
ココまでが11月~2月

2月に空気が一転します。
検図の途中からスメハラ先輩さんに検図の途中から結果をごっそり持って行かれました
因みに、東大のご出身でおられます。学部は忘れましたが、確か法学か経済だった気がする…。
今思えば学閥とか、今まで成果に目ぼしい物が無かったので昇進させたいとか、そんな意図があったのかもしれません。
実際、出てきた学校の割には生産性めっちゃ低かったですし…。

スメハラとか、結構ひどい事を書いていますが、私はハウスダストのアレルギー持ちでして、この先輩はそのハウスダストをボンボンまき散らしておられたのですよ。えぇ臭い=カビ・腐敗臭でございます。鼻がなまじ良い私は地獄でしたよ…(涙
※ちなみに、現職でもスメハラに近い方が男女ともに1名ずつ居られますが、香水なので、十分耐えることが可能です(意図的に近づきませんが)。カビというアレルゲンが問題なのです。

2~3月から私は干され、なんだかよく分からないこと(Pro Eで配線経路の設計=そんな事をしなければならないほど大仰なモノでは無かった筈なのですが…)をしていました。
3DCADデータが無いと云々言って居られた、会社にあまり来ないで大学に入り浸っておられた本社側の機械設計者さんの意向を映してのことだそうです。(よう分らん…)
そんなことをしていても仕方ないので、FPGAでRAMにアクセスするだけで済む様にPWM実装やエンコーダの処理、レゾルバの処理、電流センサーの値取得処理を実装していました。
勿論メモリマップもつけてあげて、仕様書まで書いてあげました。
ここら辺はお得意なので、0設計とはいえ完成まで2週間もかからなかったと記憶しています。
完全に片手間ですよね。
余裕ができたらトルク制御載せようと、空間ベクトルPWMのソースを書いていたころです。
考えてみたら、当時打たれ弱かった私はこのころ完全に鬱になりかけていましたね。
やばい、何とかしなきゃ…と焦りつつも、何して良いか分かんなかった頃です。

さて、5月に差し掛かろうとした時、問題が起きます。
成果物をごっそり取ったと思われていた後、時間が結構あったにもかかわらず、スメハラ先輩様は相変わらずのお昼寝をほぼ毎日炸裂されておられまして、結構な問題に発展してしまったわけです。
それが、検図も検証もされずに、大きなミスが見つかった(英語の仕様書の見落とし=日本語の仕様書に書かれていなかったENピンの処理ミスが見つかり、レギュレータが動かない)という奴です。
しかも、納入された基板の検証もしていなかったし、何もしていなかったことが明るみに出たのです。
いや、昼寝はしていたんですよ?それが仕事かどうかは知りませんが…
業者のミスによって、基板を無料で改版してもらっていたにもかかわらずです。
(つまり、パターン変更で何とでもなったという奴です。内層の配線カットで住む程度)
そんなわけで、何年もグダグダしていて一向に進まなかったのが、せっかくまともに進むか?と思ったプロジェクトが皆どんでん返しになりました。
このころには私は相当参っていて、ありがたいことにトヨタ自動車さんのTL・GM・主査、隣のグループの皆様・総務から心配ばかりしてもらっていたことを記憶しています。
それを表す代表例として、カメラ付携帯を一定の条件を満たすことによって特例で許可してもらえました。(怖くて持ち込みませんでしたが…)
私の時間軸での仕事は相当早かったので、物凄く空気が変わったんでしょうね。
↑ここ超重要
ただ、相変わらず自社からの評価は最低でした。
そんなこともあり、当時の取締役員さんから面談を申し込まれましたが、前職・前々職で役員と絡むとろくなことにならない事を知っていた私は、即答で断ったわけです。

さて、ここで疑問が残ります。
派遣元の上長は出てこないがどこ行ったの?
出社後すぐに別の建屋に行って戻ってこないので、コミュニケーションとかいう以前のレベルであった。
という事実を付け加えておきます。
実質的な実働していたのはだれか?
事務折衝関係=トヨタ本社の方々、機械=トヨタ本社の方々、電気電子=私を中心としたその他派遣(後で入れ替わったけど…)。こんな構図になってしまっていたのです。
自動車会社は昔から電気電子は苦手ですからねぇ。

私は延々と自社からの評価が異様に低い実態に嘆き、回路設計から足を洗おうと転職をしようと思い立ちました。
なぜなら、なぜ仕事をすればするほど、トヨタ自動車本体に認められれば認められるほど、自己の評価が下がるのかの理由がこの時は理解できなかったからです。

結果、地方出張に有給と新幹線代を自費で消費させる一部上場企業(当時)に移ってしまったとという事に気づくこともなく…。

中盤へ続く…

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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