2014年9月16日火曜日

くだらない派閥争いもどきと言う非生産組織の生成に対する苦言

おはようございました。

タイトルにもある様な下らない派閥争いと言うのは何処にでも在るもので、私の回りにもそれがあります。
悲しい話ですが、それなりに優秀な方々の組織と思われる団体にもよくあります。
正直な話、“鬱陶しいから止めてくれ”と思います。
理由は“非生産的な組織の育成議論は価値に値しない”という理由からです。

彼らはよく『君は○○派か?』とか質問を投げかけてきます。
意識の所属、それはとても大きな組織で大きな仕事をするには必要なことかもしれません。
意識の統率が無ければ大きなプロジェクトは動けませんし、成功する確率も大きく変わります。
しかし、我々が意識するほどの大きな仕事と言えば、国が動く単位・国の経済が動かせるほどの仕事です。
目の前の利権で何かが転がる程度、言ってしまえば数人の生活がどうにかなる程度の事でしかないような他愛も無い事である場合、こんな非生産的な議論を持ち込むのはあまり好ましく無いと思います。
私から言えば、妬みや自分の不甲斐無さを誰かに押し付けているだけの言い訳に聞こえて、大変見苦しいのです。

その派閥とやらに属して、何か大きな仕事ができるのでしょうか?
その派閥とやらは、単なる攻撃を避ける為の隠れ蓑ではないのでしょうか?


私は、お世話になった人には過剰なほどに恩返しすべきだと思いますし、売られた喧嘩で勝てる見込みがあるならば徹底的に曲がりくねったやり方で潰してやれとも思います。
ですが、それ以下も、以上はする必要も無いです。

誰かに好かれるということは、誰かには嫌われる側面も持ち合わせています。
好き好んで敵を作っても仕方ありません。
また、中途半端な仲間(いわゆる顔見知り程度)を必要以上に作ると、攻撃されたときの被害が拡大して、偉い目に遭います。

派閥ごっこをしている程度の知り合いでは、本当の意味で信頼に値する仲間にはなれません。
大凡が攻撃されたくないから言い訳を盾にしている方々です。そんな方々は、危機に瀕すると真っ先に逃げてしまいます。
そんな仲間が欲しいのですか?私は要りません。

私が欲しいのは、互いが危機に瀕したとき、死ぬ気で守る覚悟をしてくれる心強い見方です。
だから私は堂々と言い切れます。知り合いは多いかもしれませんが、仲間は決して多くはありません。
また、0ではない、これだけでも十分です。有無の差は非常に大きいです。
世間の金の切れ目が縁の切れ目と言う方々の集まりを友達と呼ぶような集まりとは、大きく違うことを意味します。
私がもし何かの窮地に立たされたとき、死ぬ気で何かをしようとしたときの超強力な心の支えになります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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