2014年9月6日土曜日

平社員は責任を取れません

昨今、日本の若者と呼ばれる方々が働きたくない理由に“過剰な責任追及”という問題があるので、今日はそのお話。

最近?の社会人で結構なお年の方々は、『責任を持って仕事をしろ』と平気で言い放ちます。
果たしてそれは正しいでしょうか?私はかなり疑問を感じています。

本来、一般平社員は裁量が厳しく制限され、実質的に会社を自由に動かせる部分がほとんどありません。
物品購入も殆どできませんし、交渉事も会社として契約書を交わすことなどできません。
つまりは、責任を取りたくても取り様が無いのです。
平社員と言う裁量の枠の中で、どのようにすれば責任を取れるのですか?逆に知りたくも有ります。
勿論、裁量が認められているのであれば話は全く別になります。裁量があれば責任を取ることができます。しかし、平社員で裁量があるのは企業でも少数派です。

私のブログでは時々責任の取り方で御託を並べさせてもらっていますが、辞めたら良いだけならばそれは責任の放棄であって、責任を取ったとはとても言えません
発生した損失を補填し、なおかつ少しの利益を出したところで、初めて責任を取ったと言える状態になります。

日本の企業に勤めている方々で、よく辞めて責任を取るとか言う今の有り方は非常に問題があると考えています。
辞める時に私財を差し押さえられても居ませんし、会社に対して罰金を支払ったわけでもありません。勿論退職金や給与は出ていますから、逃げたと言うのが正し言い回しだと思います。

個人事業主と言う立場や、零細企業のボスになると明確に見えてきますが、責任と言うものは安易に取れる訳ではありません。死ぬ気になって働いて、初めて取れるかどうかが微妙なところです。
責任を取って辞めろと平気で言う人が居ますが、会社の金を盗んで逃げなさいと言っている訳ですから、アレはキチガイの極みであると断言します。

では、世間は平社員に対して、一体何を求めているのでしょうか?
それは“責任感”です。
会社で働く以上、会社の看板を背負って世間に出ている自覚を持つことと、ロとして自覚しプロであり続けることを要求されます。それは給与や報酬に対しての義務に相当します。
プロとしての自覚、会社の看板を背負う立場に居ることをしないのであれば、それは正規の社員ではなく、ただのアルバイトや非正規社員の一人でしかありません。
つまり、首を切られても文句を言えない立場に該当します。
だからこそ非正規社員に責任が関わるような仕事を絶対にさせてはいけません。彼らは今の所属から即日逃げる事を法的に許されています。

この“正規の社員として必要な責任感”と“責任を持って仕事をする行為”を混同している老害が多く、最近は非常に目に余ってきた為、世間の若い人が会社に就きたくないという明確な意思表示をし始めています。また、同じ老害に攻撃されるなら大手企業のほうが対価が大きいのでマシだと思えるのです。
これが大企業崇拝の一端です。まぁ、現実的には大企業であるほど、老害からの責任の擦り付けが酷いので、即座に逃げてしまうのですが…。

この歪な構図、目にしたことはありませんか?
若い人間で精神的に弱い人が多数派であるのは、今の社会情勢上事実ですし、昨今の育てた親に問題が多い以上、しばらくは避け様が無い事です。
しかしそれ以上に会社に巣食っている老害と言われても仕方ない方々が、若い社員に対して過剰な責任追及をしているからこそ定職率が下がるのではないでしょうか?

現在、貴方が新入社員であったときよりも圧倒的に不遇な世の中になりつつあります。
それは会社の方針でもあり、拝金主義という世の中が行った施策でもあります。
物価は実質的にかなりの上昇基調であり、住む所と食べるものにも困ると言う世の中でありますが、報酬は一向に増えては居ません。過去から確かに給与は上がりました。しかし、手当てと呼ばれるもっと大きな報酬がほぼ無くなっています。今は、働いても生活ができないのです。
そのような中、責任の押し付けを行ったらどうなるかは明白ですよね?


最近の若い人が何故会社に居続けることができないのか?
それは単純に若者だけの責任ではありません。貴方がやっていることは何ですか?
もう一度自分を省みて、自分の立場に合った行動を採られる事をお勧めします。

勿論私も今は平社員なので責任を取りません。しかし、私の立場は電気主任技術者と言う武器を使って同僚を守ることに有りますから、老害からの攻撃に対して立派な盾になり、同僚を守ろうと思います。


ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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