2014年6月3日火曜日

製品の戦略、可能性と技術による決まり方

おはようございました。
日本では梅雨と呼ばれる時期に入りました。
この季節になるとバイクに乗れないのでストレスが溜まり易くなり、精神衛生上とても良くありません。
ハウスダストの嫌い(アレルギー)な私にとっても天敵の季節でもあり、喜ぶのは下着が透ける事にエロスを感じる好色家の皆様ぐらいではないでしょうか?

もちろん私は好色家ではありません、弩スケベです。
物事は正しい表現をしましょう。


さて、つかみも取れずに掠った所で今日の御題。
世の人が言うには設計段階で製品に関わる品質の良否に関しての8割が決まると言います。
私はこれにもう少し味付けをすべきだと思います。

例え製品が良い物であっても、使い道・感動・所有感の充足がなければ品物は売れませんし、会社として赤字は必至です。

私は、企画段階で成功の可否が8割方決まると提唱します。
技術も市場の能力も会社の能力も全てが身の丈に合っていないと、製品はヒットしません。

例えば優秀な技術があったとしても、世の人が良いと感じなければ商売にはなりません

車ならば日本車で言うところの三菱・アイ、日産・初代ティーダ、トヨタ・オーリス、何であんなに車としては上出来であるのに、あんなに売れなかったのか?
今でも不思議なように見えますが、日本の顧客にとっては全部中途半端な位置付けの車である事がよく分かります。
例えばアイであれば軽自動車だから売れません。アレがコンパクトカーであれば市場が全く様変わりしていたでしょう。ホンダのFitに並ぶ製品にすらなりえていました。(FITではないところがミソ
BMWのi3が賑わっていますが、あんなのより早く先手を打てていたことは想像に難くない。
ティーダ、価格が中途半端でした。いい車であっても、日本人は価格で物を見ます。そして、安い車なのに若干高め価格設定は微妙な空気を生み、その後にノートが販売されて自爆し、更に泥沼化しました。
オーリス、カローラランクスを少し大きくしたために都市部の連中が引きました。つまり、狭い道路にこの車は厳しいのです。かといって高級車でもありません。作りが安いので、郊外の顧客は2ndとしても、1stとしても優秀な機能をなしません


最近は過去の技術があると思い込んでしまったがために、まともな商品になりえずにコケた例、コンセプト倒れなものもあります。
最近のソニー製品:コンセプトは良いときがありますが、製品に仕上げる技術・能力が無く、途中で企画倒れし始め、比較的早期に妥協が混ざり始めます。製品になる頃には、よく分からない変なものが仕上がって市場に流れます。
少し前のゲーム機:ソフトウェア会社に開発できる力がないハードを作ってしまったがゆえに微妙な空気が流れました。
最近のスポーツカーもどき:車体も足もブレーキもサスもエンジン、また補機類までもが中途半端。何一つまともに作っていないので、皮だけの中身のない車が仕上がりました。えぇ、代表例はあえて86・BRZとは言いませんが…。

コンセプト倒れは決して小さな問題ではありません、そこに技術の軽視、技術というものに対しての不敬の表れが企業として現れているからです。
もうこの会社に○○を開発する能力がないことを世に知らしめている・公然と暴露している。
そういういう事を平気で実践CM行っているのですから、余計に性質が悪い内容です。

スバルなんかはさっさとトヨタと手を切ったほうが良いんじゃないかと思えるぐらい可哀想で仕方がありません。1から開発させて貰えていたら何の問題も起きなかったものを、横槍入れまくられて、失敗作の流用までさせられて…アレじゃぁ被害者ですよね?

さて、不思議なほど“お前が言うな!”と言う事例が世には多く存在します。
就職活動でも散々言われている内容ですが、こういった自爆をする会社は自己分析が足りていません
あれれ?会社側が散々面接の場で学生を相手に説教垂れていませんでしたっけ?
業界の位置付けや、会社単位の相関性、金の流れ、客の動向と言う比較的見え易い物にばかり気を取られ、肝心な自分(会社)の能力は何か?会社は一体どのぐらいの技術力を保てているのか?と言うことの見える化を怠っている訳です。

そりゃ難しいですよ?技術の見える化なんて、数値では間違いなく表現できません。ぼんやりとした像が出るぐらいで、そこから先は何も具体性を生みませんからね。
一時期誰かさんが流行らせた“意味の無い数値化による意味の無い評価方法”で評価するしかありませんが、事務しか知らない役職・経営陣がその意味の無い数字を出せるわけもありません
そもそも、黙っていたら技術が衰退すると言う根本かつ重要な問題を知りもしないでしょう。

自分(会社)が実社会相手に描ける像なんていうのは、おおよそそんなもんです。
画にはなんとなく描けそうだけど、よく分からないものが仕上がってしまいます。
そのよく分からないものを自分なりの解釈と意思判断で動かす…経営なんてそんなもんです。
だからこそ、経営者をこなす人は芯の通った変人である事が求められます。
他人の顔色伺って経営することは、自ら地雷に足を踏み入れること同然です。
また、他人の顔色を伺うと言うことは必然と数値を気にし始めますから、数値だけで経営をし始める動機にもなります。
そして、数字だけで経営し始めたときは、その会社に終焉が来たことを意味しています。

経営は難しいし、何も無い状態では技術の位置なんて知りようもありません。
ただ、近くに真の技術者がいるか、もしくは自分自身が真の技術者であれば、自分の立ち位置ぐらいは周りの製品群のレベル・似たような立ち位置の人からおおよそ推察ができます
そして、自分(会社)にとっての目標・夢と、現実世界での落とし所を表現することぐらいは比較的容易に行えます

コンセプト倒れって言うのは“夢と現実を区別する”そういう事すら出来ていないから起きる訳です。
要は妄想の厨二病と同じ状態な状況であると言えます。

ね?厨二病と同じ事に気付いて初めて危機感覚えたでしょ?
“俺は本気を出せば出来る人間なんだ!”とか思っていても、“自分の能力の限界を知らない厨二病患者がただ妄想しているだけ”ですから、結果が伴う訳がありません。
“貴方の本気”の底上げをするには日々の鍛錬と努力、そして感性の磨き上げ以外に手はないのです。

会社でも個人でも、内面的に成長し続ける意気込みが無くなったら、そこで人生(社史)と言う名の壮大なゲームは終了なのです。
尤も、腐りたくて腐っているなら誰も止めませんけどね…。

これを見て見苦しさを微塵でも感じたのであれば、周囲には身の丈にあったものを求め・要求し、自らは日々精進して、その身の丈より少し背伸びできるようになることをお薦めします。



ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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