2014年4月29日火曜日

思考停止のその先に

最近、様々な方々とやりとりをする間に、一つの傾向が見えてきました。
思考停止に陥っている人間は、
質問するときは、少ない言葉数でぼやかした質問を行い、
解釈するときは、自分の都合の良いようにしか解釈できない。

というものです。

何のことはなく、人間自体が都合の良いように捉えるという話を以前にしましたが、その同類です。
具体例を挙げると、
  •  アーティストに『ファンなんです。何でも良いから○○してください』
  •  質問相手に具体的な内容を含めた質問ができない
  •  設計者に目的や目標を言わずに設計させる
  •  現実的ではない仮想的な対象を研究成果による攻略対象とする
その結果、
 当然、返ってきた返事や回答が、意にそぐわない物であるので、周囲に不平不満をほのめかすという行為に及びます。
コレで終わればいい方で、どこかの国の方々みたいに
 賠償や、謝罪を要求し始める※あえて朝鮮系とは言いません
という行動を起こす人も居ます。

特に厄介なのは日本語圏で、日本語は片言でもだいたい通じるのが当たり前なので、
 空気読めよ!!
というのが標準であったりします。
厄介なことに、アーティストな方々は正当な対価が支払われれば、それなりにでも期待値に近い物は出せますし、そもそも、独自色が欲しくて曖昧な仕事しか依頼していないので、問題が表面化しないことが多くあります。
だからこそ、
 一見大したことが無さそうな1枚の絵を描くのに数日かかる
のですし、
 1曲作るのに年単位かかります。
だからアーティストにも無報酬で依頼してはいけません

成果が大したものでなければ、設計者は時間をそこまで費やさないのですが、
設計者にこのような質問が依頼がされると、とても困ります。

  •  具体像が見えないので、質問し返す→鬱陶しがられる
  •  おおよその推察で依頼を受ける→実は大した内容が欲しいわけではなかったので無駄骨
  •  相手が質問できるレベルにはないことを諭し、適当にあしらう→不平不満の嵐

要は、質問者が満足し得うる成功確率は、とてつもなく低い状態になります。

よく、相手が小学生・中学生であっても、解るように説明できなければならない
ということを真意を捉えずに軽々しく語る方が居ますが、
現実の世界では小学生・中学生に説く場合よりも、たちが悪い人が質問をしている
という場合が大半であることを十分に認知すべきだと考えています。
ですので、
こういうことを普段から平然と言う人間は、お里が知れている
訳です

小学生・中学生は、めい一杯吸収してやろうと貪欲であり、
解らなかったことはもっと租借して欲しい意思表示を行います
しかし、中途半端な人生経験が豊富そうな青年以降の所謂”オトナ”は、解った振りをしてその場を誤魔化します
理由は、小さなプライド、面倒くさい、恥ずかしい、等様々です。
その結果、満足できない・私が正当なのだ・私は被害者だ
と、宣い始めます。

知らないなら聴けばいいし、質問したことの意味をしっかり考えると行うことをすればいいだけなのですが、彼らはそれを望みません。
思考停止した彼らにとって、考えることが既に苦痛であるからでもあります。

知識を得て、それを正しく用いようとする行為は人間の徳
なのですが、
彼らは既に人間であることを早々に辞めたがっている
のかも知れません。
知らないなら知らないと言える勇気、実はとても重要なものなのですが、我々オトナと呼ばれる世代には一番欠けやすいものなのです。


この思考停止が進んだ結果、アルツハイマー病、痴呆老人等の問題に発展します。
貴方は痴呆=他人に害を振り散らかしてでも生き長らえたいですか?
アルツハイマー・痴呆老人は、地球社会としての美徳には大いに反しますが、反社会的勢力になってでも、生き延びたいですか?

もし貴方が日本人であるならば、切腹所の騒ぎではないのは、十分にご理解いただけると思います。

質問するときは、相手に質問する姿勢をしっかり提示できるようになるか、全力で吸収する姿勢を見せましょう。

いい年した人間であるにもかかわらず、中途半端な質問姿勢は、相手に対して、非常なる失礼に当たります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。


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