2014年4月2日水曜日

手を挙げても誰も見向きもしません

別の日記でも書いたことで使いまわしなのは申し訳ないのだが、最近また思ったので書き殴ってみた。

人間の基本特性とは恐ろしいもので、平常時は過剰なほどに内向的である。
自ら行動しないし、危機が迫らなければ(場合によっては迫っていても)行動を起こそうとしない。
自らだけは特別と思っているのか?都合の良いときは何らかの期待を過剰なほどにするのだが、な事になると過剰なほどに嫌悪して周囲を困惑させたがるように思える。(例えば根拠が薄いのに騒ぎ立てる放射脳の連中とか…)

例えば、
 成功確率は40%
 失敗確率は40%
こういった話をした場合、何故か前者を積極的に選んでくる
明らかに後者のほうが成功確率が高いにも関わらずである。
おそらく30%でも問題なく前者を選ぶ、下手をすると20%でも選ぶかもしれない。

文字化すると容易に言葉の言い回しに囚われず、賢明な判断をしがちだが、口頭で言った場合の行動は明確なものがある。
ココに技量や技能という、或る程度不確定な要素が入ればなおの事、不利な方と思える方を選ぶのだから面白いものである。


さて、こういった行動問題の代表例にネットワーク上を含めたコミュニティーがある。
現代の婚活に励む自称女子の問題といっても差し障り無い。

これから述べることは、“人間関係の失敗慣れ=実は大した事ではない”を熟知している方々には気づかないかもしれない事項かもしれない。
昨今の世間に住む方々は基本的に面と向かって遊ぶこともなく、成長に必要な比較的軽い子供の喧嘩もしない
その影響で、どのような行動が相手に痛みを与えるのか?もわからないし、死に至るプロセスという概念すら希薄である。
ついうっかり殺してしまった。リセットできると思って死んでしまったというのが殆どではないだろうか?


先ず前提条件として、互いの我の張り合いの上で比較的軽い(=死なない、大きな後遺症を残さない)程度に殴りあった上でも或る程度話せる相手=親友といい、友達=相手を傷つけた・相手に軽度に傷つけられたとしても或る程度なら許せる相手としておく。
理想の結婚相手となればもっとハードルが高い。この上に“生涯一緒に居ても我慢できる”という足枷が付くのだ。

かなり軽い前提条件(のはず)ではあるのだが、こういう前提条件は、容易に形成・成就できるものでもない。
事実、子供ですら数年かかるし、大人になってから“正直に話さない互いの腹の内の探りあい”を覚えている人々は下手をすると10年単位でかかるであろう。
しかしながら、すぐ親友・友達になりたがる。
掲示板でよく見かける“友達募集”であったり、SNS絡みの“顔も知らないで話す程度のつながり”を多く求める。
この程度の軽い繋がりでは、本質的に本人の欲求は満たせない
何のことは無い、友達でもないただの知り合い程度だからである。
下手をすると知り合いですらないかもしれない。
それが友達と誤魔化していられる内は良いが、友達ではないと悟ったときの悲惨たる心の状況は、言い尽くせないものがある。
その希薄な関係も非常に脆い。所謂一種のSNS疲れというのはココから来る。
面と向かって話せば時間もかからないことを、公的な場で腹の探りあいをしながら相手を微妙に褒め続けなければならないのだ。
されている方もだんだん落ち着かなくなってくる、腹の探り間とわかっているからのこそ、余計に不満が溜まってゆく、本心はどこに在るのだ?と見えてこない。
面と会えばすぐ解る。すぐに反応が返ってくる相手の微妙な行動・話し方・考えは、完全に隠し通せるものではない
(事実、我々が採用活動で最重要判断していていた見た目はココにある)

しかしながら、彼らは相手へのちょっかい“友達募集”程度の軽い行動しかしない。
軽く手を上げたら後は誰かが引っ張ってくれる。そう大人になってからは殆ど有りもしない妄想を描き続けているのである。
彼ら(我々)はいい加減気付くべきである。
彼ら(我々)自身は、平常時において個体として大きな社会的影響は限りなく低く、相手のためになる可能性は限りなく低い。
関わらないでおこうと思えば関わらなくても済む相手であるのだから、相手が未知という危険を犯してまで手を差し伸べるようなことは普通はしない。
正常な思考の持ち主なら尚の事である。
つまり、この状態で手を差し伸べた人間は、“良い意味で子供”か、“裏がある”のどちらかである。


子供のころは強制的に学校というコミュニティーの集りで、遺伝的・家庭的に積極的な人に巻き込まれたり、子供の好奇心という行動力でそれを補う事が多い。
結果、一定の知り合いは確保され、幾らかの壁を乗り越えると友達には成れる。

しかし大人は別である。好奇心自体が薄い。年齢を重ねるごとに行動力も殺がれる。
人間は基本的に変化が嫌いな動物である以上、相手に行動の期待をしてはいけないのである。
自らが率先して動かねば、周りは変わらないし、変ってゆきもしない

そのような当たり前の事を何故だか誰も気付かずに手を挙げるだけで誰かが助けてくれるのだと信じて止まないでいる。
それ、白馬の王子様が現れると思っている(精神的な意味で)幼女となんら変わりないですよ?
結婚相手なんて得にそうです。誰が好んで行き遅れの人間を相手にすると思いますか?

先ずは自分から行動しましょう。暫く経てば行動癖が身につき、周りも賛同してくれるようになります。
全てはそこから始まります。

ではでは、今日はココまで。
またの機会に会える事を楽しみにしています。

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